【読書メモ】渋沢パパ曰く、「セルフブランディングなんかいらん!本を読んでとにかく実践せい!」と。 〜君は何のために働くのか〜
渋沢栄一さんの本を、読んでみました。 『論語と算盤』に劣らず名著だと思いました。
誠実さとやりきり力を兼ね備えた仕事観、大切にしていきたいです。
気付き
得意だと思っていると事を仕損じることが多いので、常に「窮苦」だと思って事にあたることが大切
- 「名を成すは毎(つね)に窮苦の日に在り、事を敗(やぶ)るは多く得意の時に因(よ)る」
常に「失敗」を取りに行くことで努力する機会だと捉えることが出来る
「日本資本主義の父」と評される渋沢さんでさえ「清濁は合わせ呑まなかった」ということが印象的であった
結局「書籍は実践されてこそ実世界に活きてくる」ということ
- 本を読むだけでは足らず、実践を通して知見になっていくということの再確認になりました
- 「本を読んだら実践する」という意識を持って生活に組み入れていきたいなと
- 「民人(たみひと)あり、社稷(しゃしょく)あり、何ぞ必ずしも書を読みて然(しか)る後に学(がく)と為(な)さん。」
「派手な自己宣伝は中身の薄さを際立たせる」という表現も、今の時代に合った秀逸な表現だと感じた
- 「個の時代」という訴求が定着しつつありますが、それに乗っかって「セルフブランディング」をしていく人たちがいるのは少々モヤモヤしていました
- いたずらに声を大きくせずとも、着実に出来ることをやっていれば見ている人はいて、自ずと声を掛けてくれるのだと確信できる内容でした
ハイライト箇所
①
「名を成すは毎に窮苦の日に在り、事を敗るは多く得意の時に因る」 という古人の句がある。これは世間の人に対する簡潔な警句となっている。失意のときには心が引き締まり、油断がなくなるから、何事も成功しやすい。逆に得意のときには 傲慢 な心が原因で失敗しやすい。つまり、失意があればこそ人は名を成すこともでき、得意はかえって失敗を引き起こし
②
なのだ。 そう考えれば、失意を経験したからといって必ずしも悲しむべきではないし、むしろ喜んで努力する絶好の時期であると思う。この意味で私は、自ら進んで失意を求めよとまで言いたいので
③
また現代人は、いわゆる「時世におもねる」傾向が強いように思われる。一面からすれば時世におもねる人は、それだけ世渡りがうまいとも言えるだろう。しかしそれは皮相な観察であって、見識のある人からは軽薄な人間と見なされるのがオチである。 こういう人間に限って体裁をつくろうことだけは上手だから、一時は上役に気に入られたり世間から ちやほや されたりする。しかしもともとが無責任だから、けっして長続きはしない。したがって、社会に重用されるまでには至ら
④
「清濁あわせ呑む」ことはしない 私も時には惑わされるが、清濁をあわせ呑んだりはしない。 元来、世の中はどこまでも清くなければいけないはずのもので、濁の存在することがそもそも間違っている。したがって、清に協力するのは当然であるけれど、濁をもあわせ呑む必要は認めないので
⑤
学んだことを、日々実行する 人が世の中で成功するためには勉強する心が必要である。しかし、ただやみくもに学問をして、それだけで直ちに成功できると思うのは大きな誤解である。 『論語』の中で孔子の門人の子路は、こう述べている。 「民人有り、社稷有り。何ぞ必ずしも書を読みて、 然る後に学ぶと為ん(民を治め、国を運営することが、実際の学問である。書物を読むことだけが必ずしも学問では
⑥
私はこの子路の言葉に賛成である。机上の読書だけで学問をした気になってはいけない。どれだけ知恵が十分であっても、それを働かせなければ何の役にも立たない。そして知恵を働かせるとは、勉強してそれを実際に活用することである。しかもその勉強は、ただいっときの勉強では不十分だ。死ぬまで勉強し続けてはじめて満足のいくものになるのである。要するに、ことは平生の心がけ、心の習慣に
⑦
派手な自己宣伝は中身の薄さを際立たせる 現代はすべてが広告の世の中である。広告が上手であれば商品が売れる。ことに化粧品や薬などは、実質よりも広告で売っている。 だが、人間が世に立つというのは商品を売るのとは全然わけが違うのである。それなのに現代の青年は実質を第二に置き、修養を怠り、いたずらに声を張り上げて名を売り、地位を得ようとする困った傾向がある。これでは化粧品や薬となんら変わりがないのではあるまいか。 いつも修養に心がけ、人間としての内容の充実、実質の完成に努力していれば、いつか必ず自分を最も有効に役立てられるときがくる。 進んで知ったかぶりをし、自分を偉く見せようとする者は、本人としてはそれが早く出世するための道だと信じているのかもしれない。だが第三者の公平な目からすれば、軽薄で奥行きのない人間と見られ、信頼して仕事を任せられない人間だと思われるにすぎない。 これに対して平素から修養に心がけている人間は、いついかなるときでも狼狽したりせず、第三者にも本当に価値のある人間だということがわかるので
⑧
第一は、くよくよしないことである。神経が滅入るようなくだらない心配や愚痴は、体力を維持するうえでいちじるしい障害となるから、できるかぎり取り除かなければならない。 「世の中は何事も不足がちなもので、すべてに満足することはむしろあり得ないのだ」 という境地に達し、自らの分を知り現状に満足すれば、何一つ心を煩わせるものはなくなるし、苦情も起こらず、くだらない心配をしないでも
⑨
第二には、気持ちを切り替えることである。何か気になること、心配なことがあって、それがいつまでも解決できず執念深く考え込んでいると、それが成功しないうえに、大いに体力を損なってしまう。 こういう場合は気持ちを切り替えて、まったく異なった方面のことを考えると